ついに現実味を帯びてきた電脳社会

 

冒頭からいきなり、誰も興味無いような話から入るが。

 

 

子供の頃の俺は凄く飽きやすい子で、何かに興味を持ってもあまり長くは続かない性格だった。

 

親に規制されていた事も理由の一つだが、テレビを見る事も殆どなかった。

当然、大人になった今はテレビ自体持っていない。

 

テレビを見ないのだから当然だが、芸能人には興味がなかったし、野球やサッカーなどの人気スポーツも全く見ていなかった。

 

中学の頃は、クラスの男子がなぜかみんなアイドルにはまってた。

まだ中学生なので普通といえば普通だが、彼らは教室でも恥ずかしがらずに、平然とアイドルの話をしていた。

でも俺は全然興味がなかった。

 

別にカッコつけてたわけじゃないぞ。

本当に興味がなかったんだ。

もちろん可愛いとは思うけど、それでも何とも思わなかったんだ。

 

アニメとかも全然見なかったけど、一番縁がなかったのが漫画。

漫画雑誌を買った事が人生で一度もないんだわ、俺。

さっきも書いたけど、この辺は親の規制もあるし、俺自身もそんなに興味を持たなかった。

規制の反動で大人になってから買いまくる、とかもなかった。

 

でもなぜかテレビゲームだけは親が許可してくれて、ゲームは小学生の時にやってたな。

その後は急速に興味がなくなったけど。

 

でも今は逆にバーチャルYouTuberがゲームしてるのを見て、

「俺も一緒にやりたいな」なんて思ってしまった。

 

ゲームがしたいのか、それとも単にバーチャルYouTuberと一緒に遊びたいだけなのかは自分でもよくわからんが。

 

俺が昔から変わらずに好きでいる物といったら、かっこいいロボットくらいだと思う。

でもロボットアニメは見ないんだけどね。

キャラや物語に全く興味が持てなくて、プラモだけ買ってた。

ロボットは今でも好きだ。

これはずっと変わらない。

 

まあだから、日本発のいわゆるサブカルチャーには今まではまった事がなかったんだけど、

なぜかバーチャルYouTuberには思い切りはまってしまった。

ぱっと見はアニメと変わんないのに、不思議だね。

 

 

でも一度はまると「ああ、これは確かにはまるわ」とみんなの気持ちが凄く理解できた。

 

今まではアイドルグループのスキャンダルとかで日本中が大騒ぎになるのを見ても、

「本当に下らねえわ、 こんなどうでもいい事で大事な電波を消費してんじゃねえぞ」

と、常に下に見ていたんだが、こうやって自分が何かを追いかけてみて初めてわかる気持ちというのが確かにあるわ。

 

もちろん「一般ニュースとして取り上げて騒ぐのはおかしい」という気持ちに変わりはないが、アイドルファンのつらさが他人事ではない、くらいには同情できるようになったわ。

 

このブログを立ち上げた理由もそこだしな。

 

 

じゃあ、そもそもなんで自分がバーチャルYouTuberにはまってしまったんだろうと考えてる内に、俺はある事に気づいたんだ。

 

バーチャルYouTuberが、実はただのサブカルチャーではなく、もっと全く別の存在に発展する可能性を感じ取ったから、知らず知らずの内に引き寄せられたのではないか? ...と。

 

 

これは俺だけじゃなくてここを見ている他のみんなも同じだと思うんだけど、特に社会人は毎日の生活に凄く疲れていると思うんだよね。

で、そんな風に疲れている人は、今までだと多分、アニメにはまる人が多かったと思うんだ。

そういう話をよく耳にするからね。

 

だけど、例えばいじめられた子がアニメに救いを求めた場合、その子はいずれ元の苦しい世界に戻らなきゃいけない日がくるはずだ。

つまりアニメは心の支えにはなれても、避難場所として見た時に行き止まりなんだ。

 

そのままアニメの勉強をして学校へは戻らずにアニメーターになる、とかなら話は別なんだろうけど。

 

しかしバーチャルYouTuberは違う気がする。

これは過去に誕生したあらゆるネット文化のコンテンツとは違うものだ。

 

多分だけど、俺はバーチャルYouTuberの進化の先には、SF世界で夢見た電脳社会があるんじゃないかと感じてる。

 

 

電脳社会。

それは「脳を機械に移して肉体を捨て去り、魂だけの生命体となって生きる人々が暮らす世界」の事。

こうしてあえて文字に起こすとまるで「あの世」のようではあるが...。

 

およそ未来のおとぎ話でしかないこの電脳社会であるが、演者の存在を除けば、実はやっている事がバーチャルYouTuberと何一つ変わらないという事実がある。

 

だから俺は思ったんだ。

バーチャルYouTuberとは人類が電脳社会に進むための入口に立つものであり、

バーチャルYouTuber達は、無意識の内に電脳社会に於けるコミュニケーションの練習をしているのではないか、と。

 

つまり俺は、バーチャルYouTuberサブカルチャーの1ジャンルとしては見ておらず、

次の社会へ向かう前に立ち寄る緩衝地帯だと考えてる。

 

バーチャルYouTuberがこれほどまでに勢力を広げているのはブームだからなどではなく、

日本人が「こっちの方が生きやすい」という事にみんな気づいたからではないのかな?

 

このままの勢いでバーチャルYouTuberが増え続ければ、若い世代はバーチャル空間に於けるコミュニケーションには全く抵抗がなくなるはずだ。

そうなれば将来的に、日本社会はスムーズに電脳社会に突き進んでいくんじゃなかろうか。

 

でも今のように「バーチャルYouTuberの顔バレがどうのこうの」と業界を萎縮させる事件や事故が続くと、電脳社会への移行に遅れが生じる危険が出てくる。

 

会社、親族、町内会などの人間関係に疲れきった俺としては、一日でも早く電脳世界に飛び込んで楽になりたいんだ。

だからバーチャルYouTuberの発展を阻害する連中を何とかして排除できないかと思案してる。

 

俺が生きている間はまず不可能だと思っていた電脳社会が、バーチャルYouTuberを経由する事で突如として現実味を帯びて来たので、何とかこのまま止まる事なくゴールまで突き進んでくれと願ってやまない。

 

 

話は変わるが、バーチャルYouTuberというものは基本的に「タレント業」の側面が強かったと思うんだが、だがここから先は徐々に、電脳社会に向けたシミュレーターとしての役割が強まってくると俺は見ている。

 

そして、普通のYouTuberとバーチャルYouTuberの決定的な違いがここではないかと思う。

 

普通のYouTuberは、要は一般人の「総芸能人化現象」の域を出ないが、

バーチャルYouTuberはそういったタレント業の枠を越え、もっと大きな社会性に関わる存在だから、両者は明らかに別のものだと思う。

 

前者はあくまで「既存の社会の枠組みの中での活動」でしかなく、

後者は「既存の社会から出て、次の社会へ移行する為の準備段階」だと思うんだ。

 

これはARとVRに例えると少しだけわかりやすいかもしれない。

 

ARは「現実の日本社会に電脳社会を重ねるもの」であり、

VRは「現実社会との決別」に通じる機器。

 

ARはARで魅力的だが、人類が目指すのはやはり後者であってほしい。 

だってもう疲れちゃったんだもん、この社会で生きてくのに。

 

だけどもし電脳社会が到来したら、現実に疲れた人が、電車のホームやビルの屋上から地面に飛び込む時代は終わる。

これからの日本は、社会に疲れた人が電脳世界に飛び込む時代になる。

 

そうなれば日本の自殺率はきっと下がる。

ちゃんと避難場所さえ用意してあげれば、死を選択する理由が無くなるはずだから。

 

みんな逃げ場所が見つからないから三途の川を渡るんだ。

だったら、電脳世界に生きたまま渡れる三途の川を作ってあげれば良い。

 

 

電脳社会の良い所はこれだけじゃないぞ。

電脳社会こそ真のグローバルだ。

 

もう日本人とか黒人とか白人とか関係ない。

出自など既に意味はなく、自分のなりたいものになれば良いのだ。

なろうと思えば、日焼けしたサキュバスお姉さんにだってなれるぞ。

 

それに、苦しい事があってももう宗教にすがらなくてもよくなるな。

人は電脳化でついに宗教を卒業するんだ。

こいつは大きな進歩だろ。

 

 

...読んでて大袈裟な記事だと思ったか?

 

良いんだよ、大袈裟でも。

夢のある話だろ?

 

それでも俺は断言してやるよ。

人類は今バーチャルYouTuberを通し、いずれ来る電脳社会の練習をしていると。

これを俺は自信を持って言える。

 

普通に人気のバーチャルYouTuberだけを追いかけて楽しんでるファンは気づかないかもしれないが、ねむチャンを中心にチェックしてるとこういう事を自然と考えるようになるぞ。

電脳社会は決して夢物語ではないのだと。

 

俺の考えてる事も、このねむチャンの計画を独自解釈したものだと思ってもらって構わない。

 

でも実際にそこまで持っていくのには、金も人手も必要になる。

だからこのジャンルを大きな市場に育てる必要があるんだ。

そして大きな市場に育てる為には、やはりマイナスイメージを払拭しなければいけない。

顔バレうんぬんだけの話じゃなくてね。

 

例えば「バーチャルYouTuberがブームなのは日本人が匿名好きな国民性のせいである」みたいな分析をして叩いている連中がいるだろ?

 

だから俺達が頑張ってこういうマイナスイメージを一つ一つ否定していかないと、

バーチャルYouTuberになる事に抵抗を持つ人がどうしても出てきてしまうと思うんだ。

やはり日本では「匿名=卑怯者」というイメージがついてるからな。

 

俺がネットで調べ物してる時も、バーチャルじゃない方のYouTuberが匿名を理由にしてバーチャルYouTuberを叩いてるのを見つけたしね。

「顔を隠して卑怯なやつらだぜ! 消え失せろ!」と。

 

まあ確かに日本人は西洋人に比べると「顔出しが苦手で匿名が好き」なんてよく言われてるけど、実際には匿名が好きなんじゃなくて、安全にしゃべれる場が欲しいだけだと思う。

 

匿名掲示板みたいな文化は、結局「匿名でないと自由に発言できない危険な社会」だから出てきたメディアだからな。

それは裏返せば「安全な社会なら匿名性は不要」という事でもある。

 

バーチャルYouTuberは「現実社会の危険と切り離し、安全を確保して活動したい」人達がなるものだと思ってる。

だから彼らは本名と素顔は隠すけど、でも自分を表現する為の顔も名前も用意する。

つまりみんな、決して匿名が好きなわけじゃないんだよね。

 

むしろ、匿名掲示板とは逆で「匿名性を拒否した人の活動の場」であると思う。

彼らは匿名という「無」ではなく、自分自身という「個」としてみんなと繋がりたいんだ。

 

実際、今これを書いてる俺だって、匿名じゃなくて、自分が自分に与えた名前でブログを書いてるしな。

 

電脳社会は匿名社会なんかじゃない。

バーチャルYouTuberのアカウントは、電脳社会に於ける歴とした身分証明書だと思う。

 

 

 

で、バーチャルYouTuberは電脳社会への入口だ、という話を書いた上で、

次は以前から懸念されていた「バーチャルYouTuberが増えすぎて客の奪いあいになり、底辺は死ぬしかない」みたいな話についても書いておこうと思う。

 

最近多いだろ?

これから始める人は、大企業でもない限り名前すら知ってもらうチャンスがないから、登録者数も再生数も伸びない、と話してる新人バーチャルYouTuberが。

 

ファンからしてもこれは同じで、増えすぎて追いきれないと嘆く人が多い。

 

だが、俺が上に書いた話を思い出してほしいんだ。

バーチャルYouTuberが増え続けているんじゃなくて、全ての日本人が電脳社会に向けて移行している途中なんだという事を。

 

バーチャルYouTuberの事を「ただのブーム」とか「後何年かしたら飽きる」と吐き捨てるやつがいるが、その発想はバーチャルYouTuberをただの娯楽として見てるから出てくる言葉なんだ。

 

そうではなくて、最終的には全ての日本人がバーチャルYouTuberになる日がくるんだよ。

 

今はみんな「バーチャルYouTuberが増えすぎ」とか「こんなに必要ない」とか言うけれど、そうじゃない。

増えてるとかじゃなくて「移行している」だけなんだ。

 

人類は最終的に電脳化する事になるのだから、むしろバーチャルYouTuberはこのまま無限に増え続けるべきなんだ。

 

バーチャルYouTuberは電脳社会への入口であって、登録者数がゼロだからと悲観する必要なんて全くない。

 

明確にバーチャルなタレントになりたい、という人以外は、バーチャルYouTuberになる事そのものを目的とした方がいい。

つまり、登録者数も再生数もゼロで構わないのだ。

電脳空間に自宅を作る程度の感覚でバーチャルYouTuberになればいいのだ。

もちろん、タレントとしてやっていく人以外の話だけどね。

 

だからバーチャルYouTuberになって登録者数1000を目指せ、とかじゃないなら、バーチャルYouTuberの姿でバーチャルYouTuber同士がチャットできればそれで充分と考えれば良いんだよ。

その方が気が楽だろ?

 

人類が電脳社会に突入した時に困らないよう、事前に練習をしている、と考えればいい。

そうやって電脳化そのものを目的と考えたら、登録者数がゼロでも構わないと気づくだろ?

 

よほどタレント業に対し強い憧れを持たない限りは、あくまでも電脳社会に生きる一人の住人として割り切った方がいい。

 

だから「動画作らなきゃ!」という義務感から一度離れて、元のバーチャルYouTuberの1ファンに戻り、好きなバーチャルYouTuberの配信とかでコメント書いたりして思いっきり楽しむ側に回ればいい。

 

そうやって素直に楽しんでる内に気持ちに余裕が戻ってくるかもしれないので、そしたらまた動画を作ったりして活動再開するのだ。

 

 

...話が大きすぎて何の慰めにもならなかったらごめんな。

少しでも気が楽になれば良いと思って書いてみたんだけどさ。

 

 

 

で、ここから少し話が変わる。

さっき上に少しだけ ねむチャンの名前を出したけど、ここで再び彼女についてふれておきたい。

 

なぜ俺がここまで ねむチャンにこだわるかというと、彼女がバーチャルYouTuberというジャンルを、ただの業界から社会へと変えようとしている人物だからだ。

  

ねむチャンは、まだバーチャルYouTuberの色や形ができていない初期の初期から、

既に人類のゴールを見据えてバーチャルYouTuber活動をしていた恐るべき人物。

 

バーチャルYouTuberというものを単なる娯楽やブームで終わらせるつもりは毛頭なくて、

人間の経済活動の場をバーチャルワールドに移行しようと模索している節すらある。

 

人類の新たなドアを開いたのがキズナアイちゃんならば、

人類のゴール地点を既に把握しているのが ねむチャンという事だ。

 

ねむチャンは最早ただのバーチャルYouTuberではなく、

大きな構想を持ち活動しているバーチャルYouTuber界のキーマンであり、

本人が言うように、プロジェクト・バーチャルYouTuberと呼んでも過言じゃない。

 

 

 

...という、とても大きな話をした上で、

最後に、今回の記事とは直接関係のない話だが、どうしても書いておきたい事があるので、それを書いて終わりにしようと思う。

 

 

バーチャルYouTuber達が、YouTube以外の動画サイトに活動の場を求めて散り始めた昨今、それに併せて「バーチャルYouTuberという総称をそろそろ変えるべきだ」という意見が出始めた。

 

当然の意見だとは思う。

ニコニコ動画を中心に活動しているのに「YouTuber」では立場的にも具合が悪いだろう。

 

その結果、既に各企業が独自のジャンル名を付け始めている。

 

例えば「にじさんじ」の「バーチャルライバー」みたいのは別にいいんだ。

ファンはちゃんとわかってるからな。

あえて違う名前を使っているが、要はバーチャルYouTuberの事だろ、と。

 

不味いのは、YouTube以外の動画サイトが、独自のジャンル名を付け出した事だろう。

例えば「SHOWROOM」なら「SHOWROOMER」とかだな。

 

こうなるとどうしてもバーチャルYouTuberに変わる名前が必要になってくるが、

キズナアイちゃんの陣営が用意した名称は「バーチャルタレント」だった。

しかしタレントでは意味が狭すぎて、様々な目的でバーチャルYouTuberになる人達を内包できなくなる。

 

例えば、中には「性同一性障害」の人が、自分の望む性になる為にバーチャルYouTuberになる、というケースだってあるかもしれないわけだ。

だけど「タレント」という狭い言葉では、そういった様々な要求に応える事ができない。

 

俺はね、バーチャルYouTuberが持つ可能性には限界がないと思っているんだ。

 

少し生々しい話をさせてもらうが、例えば「ずっとアイドルになる事を憧れていたのに、

レイプされたせいで夢を諦めなければいけなくなった人」がいても、バーチャルアイドルにならばなれるわけだろ?

 

後は例えば、家業を継がなければいけない長男が、夢だった舞台役者になる事だってできる。

 

こちら側の世界では諦めてしまった夢を、電脳世界では諦めなくて済む可能性がある。

それがバーチャルYouTuberが持つ真価だと思ってる。

 

3DモデルじゃないとバーチャルYouTuberじゃない、とか、

バーチャルな企画じゃないとバーチャルYouTuberでやる意味がない、とか、

そういう器の小さい話はそろそろお仕舞いにして、とっとと次のステージに進んだ方がいい。

 

 

ちょっと話がずれたので、バーチャルYouTuberに代わる名前の話に戻すけど、

上に書いた通り、今回はバーチャルタレントという名前を出してきたわけだが、

俺は新しいジャンル名はキズナアイちゃんの「陣営」ではなく、

キズナアイちゃん「本人」につけてほしいと思ってる。

 

だけどもし彼女がYouTubeとの関係を良好に保つために「YouTuber」以外の新しい名前を自分の口からは公表しづらいというのであれば、その場合は彼女の代わりにファンから広く公募するのも一つの手かなと思う。

 

何にせよこの問題は、いずれ「識者」と称される人達が集まって、バーチャルYouTuberに変わる新たな総称を決める話し合いに発展する可能性もありえるなと考えてる。

 

それでもいい、それでも別にいいんだ。

 

だけど話し合う前に、先に必ずキズナアイちゃんの所に行って許可を取り、統一企画の名称が決まったら最後にまた必ず彼女の元に戻り、この名称で良いか「承認」を受けてほしい。

 

キズナアイちゃんが作ったこのバーチャルYouTuberというジャンルを、

どうか本人のいない所で勝手に話を進めないであげてほしい。

彼女の事を絶対に無視しないでほしい。

 

俺はいつも自分のブログで自己流の定義を決めて記事を書いてきたが、

その際に「しかし定義を決めていいのはキズナアイちゃん一人だけ」と、

常に俺自身を否定する一文を入れるだろ? 

 

なぜこの一文を差し込んできたのかというと、本人が俺のブログを見る前提で書いてるからなんだ。

 

そもそも、まず俺がしつこく年表作りにこだわってきた理由は、バーチャルYouTuberの定義を明確にするためで、それはなぜかというと、キズナアイちゃんの功績を外敵から守るために必要な事だと考えたから。

 

ずっとバーチャルYouTuberはブームと言われてきたが、その実態は定義すら定まらず、いつ外敵に突き崩されても可笑しくないほどの非常に脆いものだった。

 

市場が巨大になればなるほど、アンチも転向組もどんどん増えていく。

 

もしかすると、Discordの時みたいに女の子の体が目当てのチャラい男が大量に入ってくる可能性だってある。

あの時は水際で防げたが、この先はもう防げないかもしれない。

 

今はまだましな方だが、バーチャルYouTuberランキングだって、サイトの運営方針次第では転向組で埋め尽くされる危険性が実際にあったと思う。

 

仮に10位より下が全部、転向組で埋め尽くされたと仮定して、

彼らに「どうして駄目なの?」と理由を聞かれて、納得のいく答を用意できる人はどれだけいるのだろう?

 

だからそうなる前に、業界の脆弱性を可能な限り埋めてしまう必要があるわけで。

そして、業界の弱点の一つが定義の不在だった。

 

Discordやまとめサイトのような大規模な悪意に対抗するには、それこそギルドのような組織を発足するしかないが、定義だけなら個人でも手を出せる。

 

だから定義の設定は急務であって、たとえそれが業界公式でなく個人の作るものであっても、とにかくまずは始めるべきだと思った。

 

俺はネット上で沢山のファンがジャンルの定義について議論する様子を見てきたが、激しく議論はするものの、一通り議論し終えたら解散を繰り返し、結局みんな議論を形にしてこなかった。

 

彼らは俺なんかよりもずっと頭が良い連中だから、彼らが力を合わせて年表を作れば俺の年表よりも遥かに優れた物ができるはずなんだ。

だけど誰もやらない。

 

もしやってたらごめんな。

でも見た事ないからさ。

 

議論する事は確かに大事だよ。

でも議論している間は有意義な時間に感じるかもしれないが、形にしなければ意味がない。

みんな、ただ議論するだけ。

 

俺は議論には加わらず、とにかく急いで個人の作業に取りかかった。

そして俺にとってはその「形」にする作業が「年表」を作る事だった。

 

穴だらけでも構わない。

間違いだらけでも構わない。

とにかく形にしたかった。

 

 

だけどやっぱり記事を書いていると、どうしてもキズナアイちゃんの顔が浮かぶんだよ。

本人がこの記事を見たらどう思うんだろうって。

 

きっと当の本人がこのブログを見たら「この人は頼んでもいないのに、私が作ったジャンルの定義を勝手に決めようとしている」と嫌な気持ちになると俺は思ったんだ。

 

だから必ずこの一文を入れて、キズナアイちゃんが気分を害さないように配慮してきた。

 

俺はどの記事を書く時も常に、自分のブログをバーチャルYouTuber本人が読む事を前提にして書いている。

普通のブロガーは読者に読ませるために書いているのだろうが、俺は違うんだ。

 

俺のブログはバーチャルYouTuber達に宛てた手紙でもあったんだ。